【引用①】
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。
宮地尚子(2022)『傷を愛せるか 増補新版』筑摩書房 p. 226より引用
【引用②】
共同体の根拠には何か非同一的なものがあり、共同体はそれを暴力的に再固有化し、根拠における同一性の不在を忘却することによって自らを立てる。(…)祖国の起源にあり、祖国として民族・国民を統一するものは、なんらかの固有性ではなく、傷の存在である。だが傷とは何か。それは固有な領域に刻みつけられた裂け目であり、皮膚で覆われているべき内部が破れ出て、外部にむき出しにさらされ、内部の体液が滲み出していく場所である。外からやってきた暴力が保護膜を突き破り、内部の閉域に突き刺さってぱっくり口を開けた開口部。つまり傷とは内部を、あるいは固有なものを損ない。自己閉塞的に閉じるがままにさせないものなのだ。
こうして、吉増と今福による群島論の根底には、ジャン=梅木の「反転」と「傷」のロジックが響いていることが見てとれる。
早尾貴紀(2020)『パレスチナ/イスラエル論』有志舎 pp. 109−110より引用
【本文】
ほんの些細なやりとりも含めて、家族の内で、社会(世間)に対して声をあげないことが処世術となっている時に、がまんや不自由を強いられている人、誰かが誰かのケア(お世話や手当て/再生産)をしているがそれを労働(社会的な役割や責任/生産)と認められない人など、家族内の個人の負担が、矮小化、無視(透明化)され、声があげられず、一方向的な権力の勾配が生まれる時には、支配や暴力による構造が成立しやすい。
支配や暴力によって奪われた声や顔を取り戻すには、複数の立場からなる対話の為に証人(暴力のゼロ地点にいた人)と立会人(家族の外からの暴力の目撃者)が必要になるだろうし、暴力からの修復には、交差配列(キアスムス)、傷が絆に、恥が誇り(できたことを見守られ、ともに喜べるような他者と分有できるもの)に、不信(世界への基本的信頼の喪失)が信頼に、復讐と赦し(解放)、支配(一方的な関係)と約束(フィグーラと呼ばれる未来との関係からなる双方的な絆)に交差反転するようなよじれとふれあいによる架橋と和解が必要なのかもしれない。
奪われた人から更に奪う(暴力の再演/伝承による二次被害)のではなく、権力の勾配への話し合いや異議申し立てができるような余白、その人が自分自身で境界(バウンダリー)を引き直し、取り戻すのを見守る、見届けることで、今までとは別の仕方の構造が発見されるのかもしれない。
【解説】
家族と国家の共謀の前に、家族と社会の間にケアと生産性の相反があったのでは?そこには、実存(生きる意味/生き方)へのしらけと生存(生命の尊さと有限性への配慮/生きるためのインフラの重要性)の問題の再浮上という時代的(1995、2001、2008、2011…)な流れがあったのでは?
時代的な流れの中で〈女性の労働/ケアの軽視≒女性の活躍への反動〉があり、家族内での〈ケアの役割の押しつけ/声を奪い無力化し透明化する〉という政治性(中井久夫「いじめの政治学」参照)があった。こうした背景から、家族・社会・国家という集団の各単位に暴力と支配の構造を見ることができるのではないだろうか?
加害と被害のよじれ、傷という裂け目、内と外の境界、相称性と相補性の分裂生成。どうして傷つけられたやり方と似たやり方で他者と関わってしまうのか。どうしたら別のやり方をすることができるのだろうか。世界から与えられたパラドクスにどのように応答できるのだろうか(たとえば、傷が縁だあり、それを絆として誰かと分有できるなら、私達は何を伝え、何を伝えないでいられるのか、それが異なるものを異なるままに橋渡ししてくれないのだろうか、分岐点としての個の役割とは)?