〈セラピー/カウンセリング〉の〈再定義/再構成〉

 人間が人間に対して提供されるセラピー/カウンセリング(支援・援助・相談・ケア・治療)といったことについて考えると、再定義/再構成が重要性を持っているように考えられます。
 それは個人の持っている枠組み/参照枠/認知(フレーム)やその前提となる文脈(コンテクスト)を再定義/再構成が起こる場がセラピー/カウンセリングといえるからです。この場合、セラピーの方が再定義/再構成の傾向が強く、カウンセリングは自分自身の定義/構成の仕方を整理する傾向が強いといえるかもしれません。
 また、セラピー/カウンセリングはさまざまな水準の学習、つまり生理的・身体的・人格的・対人的・社会的といった多水準の学習を扱っていて、その多水準の学習のパターンから問題を見立てていると考えることもできます。よって、セラピー/カウンセリングでの話題もさまざまなものがでてくると考えられるのです。そして、この学習の文脈(コンテクスト)を捉えなおすことが再定義/再構成なのです。
 セラピーは暴力や理不尽な出来事に関する訴えも多く、被害と加害、真実と正義、利害と搾取、傍観者の反応と言説の扱われ方、など政治的な側面を持つこともあります。その時に、セラピスト/カウンセラーの態度や応答が重要なことは言うまでなく、安易に中立性を保つことが、相手から無関心さや自分の語りを正当に扱っていないという不信感に受け取られてしまうこともあります。そして、こうした体験は無力感につながり、セラピー/カウンセリングに訪れた人を再び傷つけてしまうことになります。
 こうした政治的な水準でも、セラピー/カウンセリングでは学習を扱っています。不当な扱い、差別や搾取をされてきた人に対しては、中立性を保つよりも、その人が悪くないことや不当な扱いを受けていることを明言し、今までの支配/追放されるような関係で身につけてしてしまったことを手放したり(脱学習)、生き延びていくための方法を身につけたり(再学習)、自分自身の能力や資源(リソースの掘り起こし)という既に持っているものを育てたり(自分に向けての慈愛や肯定)することが必要になると考えられます。
 しかし、その際に無理矢理にセラピスト/カウンセラーの価値観を学習させたり、安全な配慮/構造がないのに、その人の文脈(コンテクスト)を解体することは、再び支配関係(権力勾配)を体験させることになったり、その人の主体感覚を奪い無力感を強めることになったりします。このことは、常に注意したいことです。その兆候である分断されたものや否認されものを読み解き、一方的な関係から双方的な関係によって依存を手放し(完璧ではなくほどほどの関係)、異なる意見や立場を架橋するのはセラピスト/カウンセラーの仕事です。
 その際には、まずは安全/安心な構造を整えることだけでなく、セラピスト/カウンセラーが心身だけでなく、さまざまな水準(距離感、座席の位置、面接室の雰囲気だけだなく、面接に誰を呼ぶのか、守秘義務の範囲、同意書の説明や面接の目的の合意形成といったセラピー/カウンセリングの過程を含めて)での境界(バウンダリー)に配慮し、その人が自ら境界を引きなおすための、異議申し立ての目撃者や場面になる必要があります。
 こうした、セラピー/カウンセリングの場を整えること自体がセラピスト/カウンセラーの仕事ですし、あくまで再定義/再構成するのはその人で、セラピスト/カウンセラーはそのための土壌を整えていくと考えた方が、境界を侵襲したり、主体感覚を奪うことを起こしにくいと考えられます。そのためには、セラピスト/カウンセラーが柔軟な態度で応答し、その人の訴えを受け容れながら、その場を修正し整えていくことが必要です。
 そのためには、ケースワークなどの生活を支える具体的な支援、行政などからの援助、弁護士など専門家の相談、信頼できる対人関係やグループワークなどの仲間とのケア、医師の治療、といった生活の土台が必要となります(これはセラピスト/カウンセラー自身の安全/安心も守ります)。そういった安全/安心の土台があってこそ、再定義/再構成が、その人が生き延びて幸せに向かっていく方向性を持ち、その人自身の回復の仕方(表現)をみせるのだと考えられます。