問い

1. 直接的な経験から離れるほどに、捻じれ反転していくものがあのだろうか?

2. 不当を訴えるつもりが、まるで相手のやり方を真似るように相手を疎外し、その結果、自分自身を疎外してしまうのは何故か?

3. 親密性を築くつもりが、相手の立場を貶め、悪意の有無に関わらず、時には相手を思うあまり、相手を支配・搾取してしまうのは何故か?

4. 関係を手段として使う時に、疎外や支配が起こるのだろうか?

5. 主観が現れる際に、存在が背景に隠れるとしたら、存在が顯れる際には、主観もまた隠れるのだろうか?

6. 言葉的な思考により、主体と客体を分離させているとしたら、非言語的な思考をしている際は、主体と客体はどうなっているのかだろうか?

7. 主体と客体が統合したものが自己だとしたら、あるいは、いくつかのパーツからなるさまざまな水準の自我の組織化が自己だとしたら、それは存在論的には、観念論的には、自然哲学的には、どのように説明できるのだろうか?