定位、方向性、注意

 結局は、それも私自身の説明モデル(認識論)でしかない。誰もが、世界とは〇〇であるとか、私は〇〇をしているだろうとか、前提や未来のイメージを持っていて大体それに近い現実に着地する。それは因果論ではなく、外界への定位と、意識や注意と方向性(オリエンテーション)と、無意識の学習による。意識は事後的に報告されたものを自分が決定したと錯覚しているし、無意識は常に今起きている事に役立つ反応を差し出そうとしている。つまり、無意識に溜められた意味の無い学習は忘れ去られ、必要な時に意識に上がってくる。しかし、意識は定位と方向性から情報を選択するので常に気づくとは限らない。新しく学習する為には、これまでの学習を脱学習する必要があり、その為には定位が外れたり、方向性が中断/切断され注意が向け直される体験が必要になるといえる。つまり、これまでとは違う文脈に対する学習が起こるような状況を作るのだ。そして、その時に無意識は意識より賢く必要なものを差し出す。