はじめに
①では、対話とは対話自体が目的で、呼吸のように対話をしていること自体が対話の前提であり、それが当たり前のことで対話していることを忘れてしまえるほど対話ができるような状況が条件だということを文章にしてみました。とはいえ、これだけでは具体的な前提や条件については何も述べていませんし、反対に箇条書きにした具体的なルールを共有するだけでは共有できない対話の前提や条件があるのではと考えます。今回は、オープンダイアローグで大切にされている「本人のいない所でその人の話をしない」ということについて、その潮流の源泉である家族療法で使われていたワンウェイミーラーやインターフォン、ビデオカメラなどの構造から考えていきたいと思います。
ワンウェイミラーの功罪
初期の家族療法では、それまでの心理療法とは違って家族を対象として扱ってきました。家族療法の発展の中で、家族とセラピストがセラピーをしている面接室(部屋A)を観察するために、ワンウェイミラーで区切られた、面接室を観察するための部屋(部屋B)を用いていた時期がありました。ワンウェイミラーとは、部屋Bから部屋Aを観察できますが、部屋Aから部屋Bは観察できないようになっているマジックミラーのようなものです。こうした初期の家族療法のセッティングでは、家族とセラピストが面接をして、その様子をセラピストの指導者やより経験豊かなセラピストが観察し、インターフォンから助言や指示をしたりしていました。それは、面接室を観察するメタな視点の面接室であり、画期的なアイデアだったと考えられますが、そこには功罪があったとも考えられます。トム・アンデルセンもこうしたセッティングを使っていましたが、その一方通行なところや非対等性などに違和感を感じていました。そして、ある時ワンウェイミラーの機能を取っ払って家族たちがいる部屋Aからも、部屋Bの様子が観察できるようにしたのです。そこから、リフレクティング・プロセスが生まれたのです。
また、ワンウェイミラーについてはこんなエピソードもあります※2 。家族療法やブリーフセラピーの誕生に貢献したアメリカの精神科医、催眠療法家であるミルトン・エリクソン博士という人がいます。ある時、エリクソンは、人類学者のグレゴリー・ベイトソンらの依頼で、催眠療法のデモンストレーションを行っていました。そのデモンストレーションはマジックミラーのある部屋で行われビデオカメラを使っての録画もされていました。グレゴリー・ベイトソンらの研究者はマジックミラー越しにデモンストレーションを観察していたのです。デモンストレーションを始める時に、エリクソンはその様子をみながら、マジックミラー越しの人にタバコの火をつけるように言います。そして、催眠療法のデモンストレーションを体験する協力者に「見えましたか?」と尋ねたのです。協力者が「ええ」というとエリクソンは「マジックミラー越しに自分たちがみえてしまうこともあることに、彼は気づいているでしょうかね」と言ったのです。こんな皮肉からデモンストレーションは始まりました。エリクソンは目の前で起きていることを観察することを大切にする人でした。それは理論やマジックミラー越しの観察ではなく、患者さんと実際にやりとりしながら理解しようとする観察だったのです。
どんな人でも、その人からみえないとついつい否定的なことを言ってしまいます。ましてや、自分が直接かかわらず間接的に操作できる構造では自分でも気づかない内に、目の前でやりとりしていたらしないようなことをしてしまう可能性があると考えられます。家族療法の歴史は認識論の変遷ともいえます。家族を対象とした時期、家族を外部から観察しようとした時期、家族にかかわりながらも家族を観察し自らも観察されるとした時期、といった観察の立場が変化してきたからです。ワンウェイミラーからの観察がもたらしてくれた功罪の反省からリフレクティング・プロセス、あるいはオープンダイアローグは生まれたとも考えられます。
おわりに
「本人がいないところでその人の話はしない」ということには、おそらくこうした経緯もあったのだと考えられます。このことは、構造によって望ましくない権威が生まれてしまうことや、安心して話せる前提や条件にも繋がります。誰だって隠れて見られているところで安心して話すことはできないからです。一見、単なるルールにみえることでも、家族療法の実践ように数多の失敗と反省から生み出されているのです。それは、単なるルールではなく、必要だからこそ残った対話の為の知恵だと考えられます。
注釈
※1 トム・アンデルセン『リフレクティング・プロセス 会話における会話と会話 新装版』金剛出版、を参照しています。
※2 ベティ・エリクソン、ブラッドフォード・キーニー編『ミルトン・エリクソン/アメリカン・ヒーラー』金剛出版、を参照しています。