はじめに
③では、立場によって見え方が違ってくること、私たちは言葉のルールや構造に従って思考していること、個体からの視点だけでなく関係からの視点でも起きていることを捉えてみること、立場の違いが何かを生み出すこと、が書きたかったのですが、伝わりにくい文章になってしまったかもしれません。書き足らなかったことを加えるなら、言葉の使い方はその人が体験している世界を間接的に表現してそれぞ独自の言葉を使っていること、私たちが会話をする時に同じ言葉を使っていることが前提となっていますが実はそれぞれ違う言葉を使っているため相手の言葉を理解し共有することが対話では必要となること、があげられます。対話の話題から随分と脱線してしまいましたが、立場の違いや言葉の使い方が対話を成立させる前提や条件に関係していることが書きたかったと理解していただければ十分です。今回は、私が考える対話を辞書や地図のメタファーを使ってどういうものなのかを書いていきたいと思います。
辞書と地図のメタファー
私は二者間の対話を互いの辞書を交換するようなやりとりだとイメージしています。そのイメージは、物理的な辞書を交換するのではなく、互いの辞書に書かれている言葉の意味や定義を翻訳し合うようなやりとりです。ですから、互いに違う言葉を使っていることや、互いの言葉、あるいはその人が持っている概念や言説は固定されたものではなく変更可能なものだと考えます。そして、辞書に書かれていることは二者間の対話によって書き換えられていき、互いの言語を翻訳し合うことで潜在的なものや未だ語られていなかったことが明らかになってくるようなイメージを持っています。この時、対話者同士は、語り手と聞き手と観察者という複数の役割を流動的に担っているでしょうし、その中で語り手の言葉が聞き手に内在化され、また聞き手に内在化されたものが今度は語り手に外在化され、それを二者間で客体化し、それについての会話が…、とやりとりが繰り返されていくようなイメージを持っています。
そして、私は三者以上の複数人の間で行われる対話をそれぞれの参加者が自身の地図を持ち寄って、その地図を見せ合ったり、交換しながら、ある人とある人のルールを重ね合わせたり、繋ぎ合わせたりしながら、誰も知らなかったルートや未だ行ったことない場所を発見していくようなイメージです。複数人での対話でファシリテーターがいる場合は、旅に慣れた案内人やガイドがいてこっちのルートは岩が多くて険しい、あっちからなら遠回りだけれど確実に辿り着きます、ここからの景色は美しから立ち止まって絶景を味わってみましょう、後ろの人が遅れているからペースを下げましょう、など旅が安全かつ充実したものになるようにサポートしてくれるイメージを持っています。また、複数の人がいることで、会話をしている人のグループで起きていることを、会話を観察している人のグループが会話についての会話としてやりとりすることができますし、会話についての会話を元の会話をしている人のグループにフィードバックすることで、また新たな会話を始めることができます。こうしたところも複数人の対話の魅力だと考えられます。
辞書を翻訳し合う二者間の対話でも、地図を交換し合う複数人の対話でも、やりとりの中で編み上がっていくものがあるように思います。それぞれの立場からの言葉を編み上げていくことで、今まで見えなかった模様が明らかになってくるような言葉のやりとりがあるように思います。それは、何か完成図のあるような編み物ではなく、それぞれが言葉の糸を持ち寄って、さまざまな色や質の糸を編み上げたり、時には解いて編み直したりしながら、明らかになってくるもののようにイメージしています※1。
おわりに
今回は、私が持っている対話のイメージを書いてみました。辞書と地図、最後に編み物のメタファーを使ってみましたが、どのように伝わったでしょうか。こういったメタファーで対話について考えていくと、対話というのは複数の立場からなるネットワークのようなイメージが湧いてきます。そのネットワークは個人の視点から始まり、そのやりとりを関係の視点でみることで、あるいは個人と関係の視点を行き来することで、ネットワークが浮かび上がってくるようなものです。それは星空を見上げて、ある瞬間、星々の散らばりが何かの星座に見えるよう体験でしょうか。何かしら読んでくださった方の対話のイメージの刺激になればと思います。①から③で教科書的な前提や条件としての、対等な関係、安全な場所、違いを受け入れる、に関することを書いて、今回で対話がどのようなものかについてのイメージを書いてみました。次回、何を書くかはまだ決まっていませんが、実際に対話で何が起きているのかを書こうと考えています。
注釈
※1 リン・ホフマン『家族療法学ーその実践と形成史のリーディング・テキスト』金剛出版