「個人、社会、国家」

 ひとりの人間で起こる自我のパーツ間の批判・追放・障壁・遊離/離隔化といった現象と、社会という集団間で起こる暴力・差別・格差・無力/透明化といった現象と、国家間で起こる侵略や略奪・言葉や文化の禁止・壁の建造・領土の区画/空白化といった現象は、その働きにどこか似ている印象を思わせる。
 私の中では《個人の痛み》と《社会で起こる事件》と《戦争》は、階層性を持った連続体で、異なる階層に属する要素が相互に規定し合っている、あるいは溶け合っている、という見方で世界を捉えている。だからこそ、トラウマや依存症の問題が世代間に渡る苦しみであったりするのではないだろうかと思う。
 人類は自然から社会という家を造り、建てられた家に住み、他者と交錯しながら活動する。活動は言葉と物語を通して引き継がれ増殖する。人類は出自という個を持ちながらも、外延化された種差を取り込む種・類でもある。その断裂を分析し、深淵を架橋するなら、世代間の苦しみを和解できるかもしれない。