「視点、俯瞰、差異」

 視点といった時に、主体から向けられた注意が思い浮かぶが、視点といって気づきを思い浮かべることはない。この事は、気づきはやってくるものを受け取る作用であり、注意は視点から向けられる作用であるからだと考えられる。しかし、俯瞰は出来事の流れに内在しながらも、視点から外れている。
 経験を経験たらしめる領野から切り離された経験を流れのなかで眺めている。それは、ある階層の動きに内在しつつも、その階層と異なる階層とを繋ぐ裂目から展望する事であり、主体化された視点から離れて文脈に定位された時間/空間とは異なる、時間/空間の速度や高さに身を任せる事でもある。
 それは度合や濃度といった、視点から向けられる注意では感受できない差異であり、内包から理念や傾向が、外延に展開する動きそのものである。その動きは身体が動きのなかで定位し、位置や意味に規定された動きではなく、無規定、無制限の動きそのものであり、差異そのものの流れに身を任せる事で俯瞰される。