「笑い、差別、無力化、暴力」

 笑いには差別が含まれる。それは、ある不安定な文脈にいる人がぎこちなく振る舞うのを嘲笑う事や、安定した文脈を特権的に持つ者が持たざる者のずれを指摘できる事を含むからだ。もちろん笑いにはそれだけではなく、安定や不安定を超えた文脈でおこる感情の表現ともいえる。それ故に笑いは怖さに近い。
 だから笑い声は非難にも恥と恐怖の感情にもなり得る。それは声を上げる側と声を受ける側が不均等な関係であれば権力構造は人となりに関係無く発生する事、そこで生存や尊厳が既存される事自体が性加害である事、傍観者の応答が二次被害になる事、この3点は見過ごされると被害の矮小化と持たざる者の無力化になってしまう。
 笑う者と笑われる者が入れ替わる余地があり、両者がともにその関係自体を眺められるなら、その時は笑いではなく慈悲的な微笑みが表現されるのかもしれない。つまり笑いには、安定と不安定、恐怖・無意味さと安堵・解放という方向性が表現される。だから怖すぎて笑ってしまうという矛盾も起きてしまう。
 不均等な関係の中で笑われる者が、矛盾も超えた体験をしたならば、身体はよりぎこちなく硬直し応答する事はままならないだろう。それを持つ者への同意だと勘違いしたり、無力化された振る舞いを嘲笑ったりする事、それを傍観者にみせしめ持つ者への同調を行使するなら、それは笑いではなく暴力といえるのではないでしょうか。