「言葉、前提、記憶、表面」

  言葉に向けられた言葉ではなく、他者に向けられた言葉で語ろうとする時、言葉の背後にあるものを、言葉の使われ方から思慮していく方法がある。他者の置かれた状況や立場を理解した上で届く言葉を使う時、言葉は部分ではなく、互いの世界を分有する。それは部分と部分を架橋する言葉となる。
 この時に必要な条件となるのは、安全を感じられる場(空間でなく出来事としての場)、眼差し(視点)、態度(応答性)で、これらが言葉の前提となる。今、ここでの流れをどのように切り取るのかという、応答(反応)の範囲(束)が知覚の前提となり、反応の束が図式化され認識作用へと繋がっていく。
 一見、こうした運動は個人の内的な働きにみえるが、実際には社会的な記憶は個人の外部にあり、社会的な記憶は政治的な活動からの影響を受け、個人的な記憶も社会的な記憶の影響を受けている。つまり、先述の三つの条件もかつては誰かの記憶であり、世界の分有や分配のあり方そのものだと考えられる。
 言葉は表面的だという見方もある。だとしたら、その表面を、表面と表面の位相、関係、順列、を多水準に分析していく事が深層に辿りつく方法になると考える事もできる。表面的な欲望を作用と反作用から分析する事は、入れ子構造や二重の制度から離れ、切り取られる以前の知覚、運動、記憶の源泉を再編成する。