「思考、静寂、対話、複数性」

 思考とは外部からの情報を判断する事だけでなく、その事象自体や意味について考えたり、問いを立ててみるなどがある。その中でも大切なのが自分とは異なる立場で思考し、それを吟味する事である。思考は、判断だけでなく立ち止まり抵抗することも任されていると私は考える。
 自分と異なる立場とは、他者だけでなく私の中の主客や、過去(あるいは未来)と現在の私でも起こり得る。それは、誰かと居ながらも一人で居られるような静寂の中で起こる現象や状態かもしれない。もちろん、他者との場合も騒がしさではなく、静寂(狭間や中断といった間)が必要になると考えられる。
 そうした静寂が自分とは異なる者同士(私の中だったら、行為する、体験する、傍観する私達)の対話を可能にする。共感は他者と違うことを受け入れ、その違いを吟味しながらも他者に関心を向け続ける姿勢であり、対話はその他者と未だ明らかになっていない、違い以前(差異を知らせる差異)について耳を傾け、話し、語り、静寂に共鳴させることである(答えを出すことが対話の目的ではない)。
 私達の思考は答えを出すだけでなく、現実に根づいた所で留まり、複数の声と対話する事を可能にしてくれる。それは、私という個人が、他者とどのように居るか、他者が私を含めた複数の他者とどのように在るのか、という複数の思考が織りなす何種類ものタペストリー(対話の、そして関係者の数だけ存在する)ようなものかもしれないと私は考えたくなる。そして、そこには戸惑いや揺らぎが常にあるように感じる。