「世界、視点、架橋、和解」

 他人を攻撃する人は、同じように自らを攻撃する。自らを攻撃する人は、同じように他人を攻撃する。攻撃したくなった時、その炎の前に立ち止まり、まずは自らの内側に燃える炎を鎮める必要がある。その炎をさらに大きくするのか、小さくするのかは、今ここで選択することができるはず。自戒を込めて。
 自らの炎に立ち止まり曝される時、炎と自ら全体を注視する観客の視点が必要となる。それは自らの感覚と、自ら以外の他者の視点との共通感覚を吟味し、その感覚を架橋しながら、自らの炎に飲み込まれず、現実の世界と繫がりながら見守る視点である。それは新たな理解、世界との和解の体験かもしれない。
 同じような燃え方をする炎に、私達はついつい引き寄せられてしまう。そして、そこで今度こそは幸せになりたいと願いながら同じ苦しみの炎に飲み込まれる。赦しと報復の螺旋から降りる為に、今が過去と異なり安全である体験を、観客の視点とともに経験する必要があるのだろう。この世界は大丈夫だと。
 おそらく、そうなれば内的な批判者も鎮まり、追放されていた私も顔を出す事ができる。その時、両者を分断させるのではなく、どちらの立場も思いやる心で受け入れてみる。そして、分断された身体と感覚、感情と思考の関係を、現実の生活をもとに照らし合わせ、安らかに過ごせる家を建てる事ができる。