近い未来の来訪者と遠い未来の来訪者

 人間は誰しも未来のイメージを持っている。おそらく、この先こうなっているであろう…といった未来のイメージを前提として、「今、ここ」で起きている出来事に注意(関心)を向けて、外界を知覚し、状況を理解し、情報を選択しながら行動している。こうした個人の生に由来する未来には、様々な来訪者が現れる。それは現実に生存する他者から死者、想像上の人物から事物までも含まれるのかもしれない。

 もう一方で、個人の生を超えた未来には、超越的な他者、人間の認識を超えるような存在、あるいは形相的な実体が訪れるのかもしれない。そういった遠い未来の来訪者を、私達の祖先は待ち望み、その旨を様々な形で書き残したり、言い伝えたりしている。それは、「何時か、何処かで」現れる未来であり、信仰され伝承されることで、その関心(注意)が遠い未来まで持続している。

 人間の個としての注意(関心)と、種として関心(注意)は、近い未来の来訪者から遠い未来の来訪者まで、様々な次元で現れる。言い換えると、それは生まれた土地、個人の出自から地続きに現れる来訪者なのかもしれないし、土地から離れた、あるいは時間や空間を超えて現れる来訪者なのかもしれない。

 おそらく人間は、未来、あるいはこれからやってくる不確実な来訪者に対して注意と関心を向けている。そして、注意と関心は、前提となる未来のイメージという参照枠から向けられ、その参照枠は、外界、環境、状況、文脈といった世界の外枠に定位している二重の枠となっている。この二重の枠と、注意と関心といった向けられるものが相互に支え合いながら、世界を行為と知覚によって立ち上げ、来訪者を迎えるのである。