【本文】
いくつかの要素の相互作用の連なりのひとまとまりをシステムとみなす認識論は、家族療法の歴史の中で発展していきました。はじめは、家族を全体としてみなし、つぎに家族は恒常性を持ったシステムであるとみなし、そこに一般システム論やサイバネティクスの理論的説明が加わり、変化を促すための介入方法が提唱・導入されてきました。
そして、一般システム論やサイバネティクスの発展とともに、機械的な認識論から生物的な認識論に、つまり、原因から結果という因果律を持つ直線的な視点から、因果律を持たない円環的な視点へと変わっていきました。また、観察者が外部からシステムを観察する立場からシステムに観察者自身を含めて内部から観察する立場(ホフマンの提唱したセカンド・オーダーの家族療法)へ変更したこともあげられます。
こうした発展の中には、セラピストは何かを知っていて家族に対して変化をもたらすことができるという一方のみが力を持った権力関係と支配構造、原因を個人から家族へ移動しただけで家族に問題があるとする姿勢、これまで当たり前とされていた文化や習慣に対する異議とそれに対するセラピストの中立的な姿勢、といったことに内外から批判と反省があったのではと考えられます。
おそらく多くの家族療法家は、こうした批判と反省の中から、よりよい認識論やセラピーの実践を模索していたと考えらます。そして、哲学や思想の世界でもモダンと呼ばれる今までの考えを超えていく、ポスト・モダンという立場を示す人たちが現われました。
こうした時代の流れの中で、家族療法の一部に認識論をサイバネティクスから解釈学へ変更する動きが生まれ、その関心もシステムから会話へと移っていきました。そして、セラピストの客観性は、言語を媒介とした社会的な交流、つまり会話によって現実が構成されるという社会構成主義へ移行し、隠された権力関係と支配構造を自覚し、対話を重視する協働的な立場をとるという大きな変化を遂げたのです。そして、こうした実践者たちを家族療法のポストモダニズムと呼びました。
【解説】
ポストモダニズムと呼ばれる人たちに影響を与えた哲学家や思想家としてウィトゲンシュタイン、フーコー、デリダ、リオタール、ローティ、認知心理学のブルーナー、精神分析のシェーファァーとスペンス、民族誌学のバーバラ・マイヤーホフ、解釈学のガダマー、オートポイエーシスのマトゥラーナとヴァレラ、ポリフォニーのバフチン、社会学のギンデンスなどがあげられます。また、社会構成主義を唱えた一人でケネス・J・ガーゲンはナラティヴ・アプローチの実践者たちと社会構成主義の実践に関する論文をまとめ書籍化しています。
こうした展開は、セラピストが、真実性を帯びた理論から対象とするシステムを客観的に観察し、評価したシステムの問題に対して一方的に介入していく立場から、「客観性」、「普遍性」「操作性」、という悩ましい問題を解消するための模索だったといえます。
そして、客観的な科学的な説明とは別に、それぞれの視点からみた事実を語るような物語的な説明があり、意味や理解は会話を通してつくられていき、言語とミュニケーションによって現実(物語)がつくられるという立場へ移行しながら社会構成主義に接近していったのです。こうした当時の哲学や思想の、言語論的転回や解釈学的転回という流れを受けて、システムを言語/解釈的な意味の生成として捉えなおす流れを家族療法のポストモダニズムと呼んでいます。たとえば、ある理論や概念は人々の営みの観察の中から作られ、人々はある理論や概念を自分たちの営みの中に存在するという、人々の営みが理論や概念の文脈となり、理論や概念が人々の営みの文脈になるという、相互依存的な関係のなかで意味が生成されることをギンデズは二重の解釈学と呼びました。
また、こうした異なる過程が二重に作動し生成物を排出する構造は、オートポイエーシスでいう構造的カップリングとみることができます。ポストモダニズムでは、相互作用、コミュニケーション、会話によって意味や理解が生成され、双方的に共有されることで現実がつくられるという立場をとります。
ポストモダニストの立場をとるのは、ハーレーン・アンダーソンとハリー・グーリシャンのコラボレィティヴ・アプローチ、マイケル・ホワイトとディビッド・エプストンのナラティヴ・セラピー、トム・アンデルセンのリクフレクティング・チームの 3 つ実践になります。家族療法では、これらの 3 つの実践をナラティヴ・アプローチと呼んでいます。